猫舌

感情をどうにかこうにか言葉に

好きなところ

わたしのどこが好きなのか、という問いは、恋愛において最も禁止される問いらしいのだが、2度ほど意を決し質問したことがある。

 

君は、「自分が考えていることを伝えてくれるところ」と答えたのを記憶している。

1度目はなんだそれ?と思い、少し時間が経ってからもう1度問うてみたものの、答えは同じだった。

 

私が私の考えていることを伝えるのの何がそんなに良いのかさっぱりわからないが、私は君が好きなので、その言葉を信じてこうして調子に乗って考えをしたためている。

 

たまに、誰かとのコミュニケーションにおいて、言葉を紡ぐことや、わかってもらおうとすることを、放棄したくなる時も多々ある。言っても無駄だ、意味がない、だから?

ただそれが積もり積もって何か値の知れない怪物を生み出してしまった経験もある。

どうせわかってもらえない、黙っておこう、そうすることで、相手との壁が一枚厚くなる。

言ったところで、何も変わらない、黙っておこう、そうすることで、相手との距離が少し遠くなる。

言ったら嫌われそう、黙っておこう、そうすることで、自分はどんどん無理をして我慢することになる。

距離が近すぎて喧嘩になる感覚もあるので、適度に離れることはもしかすると良いことかもしれないが、最適距離というのは2人が同じではないのが問題だと思う。そこが近似している2人はうまくいくのか?

一度遠ざかった距離が縮んだ経験をした記憶はない。遠ざかると、さらに遠ざかるだけのような不可逆性を感じる。

 

アサーティブなコミュニケーションとして、話さないということを決めることも、選択肢らしい。ただなんとなく、相手を傷つけるだけの無意味な言葉(誹謗中傷的な)はいう必要はないが、たとえば相手を傷つけるかもしれないが、自分にとってはどうしても伝えたいこと、みたいなことは、言葉を選びつつも、ちゃんと伝えるべきなんじゃないかと思う。

 

君の言葉を鵜呑みにして、ちょっと言いにくいな、とか、ちょっと説明しにくいな、と思った瞬間に、これをちゃんと伝えないと逆に嫌われちゃうかな?とか、ちゃんと伝えるところを好きと言ってくれてるんだから、それに応えるべく真摯に対応しよう、なんて真面目に取り合っている。

 

結果として、君に真摯に向き合うと同時に、私自身の気持ちにも真摯に向き合ってるわけで、自分のことも、君のことも大切にしている、まさにこれを一石二鳥と呼ぶんじゃ?

 

君と一緒にいると、自分のこともとても好きな気持ちになるのは、そういうところも一つの要素かもしれない。

君が、私が私の感情や思考や思いに向き合い伝えることを喜んでくれるということはつまり、一言で言えばわたしに真っ直ぐに向き合ってくれているということだ。

君に向き合うという行為は、私と君の2人を大切にしている。

 

私がいつも寂しく思うのは、君が「自分を大切にしたい」という言葉を発する時、私に背を向けたい、と言っているように聞こえるからだ。

私が私を大切にする瞬間は、君と私の両方を大切にできる瞬間なのに、なぜ君が君を大切にする瞬間には、私は蚊帳の外なんだろう?

 

2人の時間が無限に欲しいわけではない。2人でいても寂しい、なんて人生で何度も経験している。

君が君を大切にするとき、私をも大切にできるような、そんな美味しい条件式を探している。

 

  • 君の瞳が愛しいから君の瞳に映るわたしも愛しく見える