猫舌

感情をどうにかこうにか言葉に

なんのために

生きてる理由なんて、なんのために生きてるのか探すためなんだよ、きっと。死ぬ時に答えなんてない、多分。

ゴールとか目的なんてきっと一つじゃなくて、ただ、どのようにありたいか、時間を紡ぎたいか、その積み重ねが、生きる目的なのかもしれないと思う。

富士山の頂上に行きたいです、とかでなくて、楽しくウキウキした登山したいです、とか、みたいな。

 

長く、他人軸の人生を重ねてしまったと思う、とても後悔している。誰かのために自分の意思や意欲を後回しにして、何かをしないことを他人の責任にしている。自ら進んで他人に合わせてたのに、他人のせいにするなんて、変なの。

自分で自分の道を選び取るのは難しい。そして、自分の人生は、自分一人だけでどうにかできるわけもないから、必然的に他人と合わせる必要が出てくるケースもある。

必ず合わせるのが正解でもないし、必ず自分の意思を通すのが正解でもない。

 

仕事ではポジションが上がると、よくわからない事実のみで大きな決断をしなくてはならないことが多くなる。事実を全て待ってたら手遅れで、どこかの段階で、何かの判断軸で、不十分な情報のみで決断しないといけない。

それと人生も同じような気がしていて、人生においても、何かの判断軸・ポリシー・憲法みたいな物がないと、結局決められないんだと思う、逆に言えばそれさえあればどんな異常事態が発生しようとも、正しい道を選び取れる。

 

わたしの人生にはこれまでそんな憲法みたいなものがまるでなかった。不治の病を患ったせいもあって、どちらかというと人生というのは大半が運命によって定められ、抗えないものだと諦めていたことが多かった。

勿論運命というものはしっかり存在しており、一定程度抗えないという思考はいまだに否定しない。

ただ、君と過ごす時間の中で、確実に、「どうありたいか」「優先事項」といった、わたしの人生における憲法のようなものが、少しずつ形になってきた気がしている。

 

「現実」ではない世界を、少しでも多く過ごしたいと思う。

それは「空想」「思考」「妄想」みたいなものたちかもしれない、そして、それを分かち合いたいと強く思う。

自分の内側には大きく広い自由な思考の世界が広がっていて、例えばこうして文章を書くことも、その世界の具現化を望んでいるからにすぎない。

でもその世界はとても孤独で、寂しい。

 

言い換えれば、身体の中にある魂みたいなもので、会話をして、触れ合えれば、「孤独だけど無限の内なる世界」を、「孤独ではない無限の内なる世界」とすることができるのではないか?と。

 

魂のみの存在になることは危険で怖い無防備な状態で、これまでそんなふうに裸になることなんてなかった。わたしはまるで、魂で抱き合ってる、そんなふうにいつも感じている。

 

月並みな言葉になるけれど、本来の自分に戻り、共鳴する時間を、何よりも大切にしたい。

多分本来の自分には、一人でも戻れるのかもしれないけれど、一人だと戻れているかが判断できない。

君に対する感じ方や、気持ちを通じて、確かに今自分が本来の姿に戻っているなぁと実感する。

多分そこには愛と優しさと安らぎと信頼と心地よさと2つの魂しかない。それを守るためなら、なんだってするし、それ以上にこの世に大切なものなんてない。

 

さらに月並みな言葉で言えば、君以外何も要らない、なんてことになるのかもしれないけれど、それはあまりに陳腐で、とても残念だ。

 

  • 君が触れ君に触れるキラキラと光ってるそれわたしのいのち