猫舌

感情をどうにかこうにか言葉に

付かず離れず

相手の存在を信頼することと、当たり前に思うことは似てるようで違う気がする。

家族だからなんでもしても何を言っても許されるわけではない。いや、血が繋がってる家族なら、許されるかもしれない。でも、夫婦は血が繋がっていない。きっと、死ぬまで他人なんだと思うし、そのことを忘れた時に感謝というものも無くなっちゃうんじゃないか?

 

ありがとうと、ごめんなさいは、そんな、信頼している関係でありながらもそれが当たり前ではないことを常に意識していないと出ない言葉なのかもしれない。

 

いつも、君の存在を、ありがたく思うし、身に余る幸せだと感じている。たとえ負の感情を君に抱いたとしても、アラ私は今なんだかイライラしている、なぜかしら、どこにイライラしているのかしら、と自問自答することを怠らなかった自信はある。そう真摯に自分の気持ちに向き合わせてくれているのも君のおかげだと思っているし、君のことを私が大好きだからに違いない。

 

ただそばで愛しい存在を慈しみ、そのことで自分が生きていることの実感を得たい、それはわがままだろうか。

 

  • 偶然に出会えたことを奇跡だと毎日感じ一年が過ぎ