猫舌

感情をどうにかこうにか言葉に

寂しさ

寂しさ、が人生の大半を閉めていた、そう、宇多田ヒカルが確か言っていた、人は元来寂しかったり悲しかったりする生き物で、誰かといることでその生来の辛さが抑えられているだけだと。

人は誰しもが、全く異なる思考回路で、たまたま後天的に似通った経験や環境にいれば、ごくわずかに共通点が生まれるかもしれない、それはおそらくラッキーなことで。

人が誰かを好きになるのは、確かに自分にはない何か憧れを抱くような性質があるから、というのには賛同する。

でも、共通点に惹かれることだって、多いはずだ。しかし共通してればなんでもいいってわけでもないはずだ。

 

ガネーシャがそういえば言っていた、人の夢(起きてみるやつね)は、人生における辛く苦しい経験に紐づいているものだと。

わたしと君は、あまり似ていない、でも人との関わりにおいてつらくもどかしく思う経験をしてきて、それを今度こそなんとかしたいと思う小さな夢のようなものが似通っているから、共鳴しているような気がしている。

 

なんだか心の中に巣食っている「寂しさ」は、最近あまり暴れることはない。

それはこころをなんとか言葉にして差し出したときに君がしっかりと味わってくれるからだと思っている。

問題は言語化の過程が非常に難産なところ。

 

  • 愛してるよりも言えない寂しいを言える君のかけがえのなさ